箱根駅伝から学ぶ結果にこだわる意味
2024/01/04。今日から仕事始めの人が多いのだろうか。木曜日だ。ふだんから曜日感覚があまりないけれど、正月はその感覚がより強くなる。昨日は駅伝を見つつ、部屋を片付けたり、やりたいこと・やるべきことを整理したり。よい時間。日々こういう時間をつくりたい。『7つの習慣』によると、毎日1時間は必要なのだそうだ。肉体・知性・精神。それぞれをバランスよく鍛えたい。
駅伝を見てちょっと思ったこと。駅伝に限らずスポーツ全般に関して思うことなのだけど。晴れの舞台に出場できる人はごくわずかで、その人たちの努力は我々には想像もつかないことなのだけど、その影にはいろんな人たちにサポートがあり、結果を出した人ほど、支えてくれた人たちへの感謝を口にしているのを見聞きする。自分の結果を自分だけの功績と思わない・思えないというのは本当にやるべきことをやったからだと思う。自分だけのやり方を貫いて結果を出す人など誰もいない。それは監督も選手も同じことだ。支えられていると思うからこそ、努力もできるということなのだろう。
結果を出していない人がそういう気持ちをもっていないとも思わない。むしろ感謝しているけれど結果が出ないことのほうが多い世界。そういう経験こそが今後の人生におおいに役に立つはずだし、小さな世界でのお山の大将みたいなことにはならないよねと思う。というか、お山の大将ほどやっかいなものはないと思っている。ビジネスの世界では自分の職場だけでえらそうにしている人は皆世間知らずのお山の大将がたくさんいる。その職場から出たときにどれだけの活躍ができるのか。かつての実績をいつまでも引きずっている人も同じだ。環境のせいにできる、人のせいにできるビジネスの世界は甘いなとも思う。
卓球のアスリートと接していても思うことだけど、「結果がすべて」の世界にいる人は、言い訳ができる世界の人と比べて、何倍も悔しい思いをしているし、自分と向き合う回数も多いはずだ。結果がすべての世界にいるから、結果がすべてではないと言い切れる。結果を出していない人には言う資格はない。「結果がすべて」だからこそ「その過程が大事」だし、その過程での「感謝を感じる」ことになる。自分がよければそれですべてOKなのだけど、それは単なる怠惰かもしれない。そんなことを考えながら今年は結果にこだわって仕事をしようと思った。
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