エゲツナイ週刊誌報道をどう受け止めるか
2024/02/04。今日は6時半に起きて、滝行へ。10年目に入る。先週、体調不良で延期していた。ひとりはお休みで、今日はふたりでの行となった。この時期は本当にキツイのだけど、身をそがれるような感覚になるのは、12月、1月、2月しかない。この3ヶ月に意味があると思っている。無事終了して、温泉に飛び込む。いつもの10倍ぐらい、ありがたさを感じる。
話はまったく車と関係ないけれど、最近、週刊誌による、芸能人、有名人やスポーツ選手に対するスクープが相次いている。活動休止や代表辞退みたいなことに追い込まれている。事の真相はわからない。当事者の意見が食い違えば、法廷の場で明らかにすればいいのだけのことだけど、報道の仕方が実にエゲツナイと思っている。むしろ記事をエゲツナイものにしないと読んでくれないということなのだと思っている。読者はネット記事を中心にどんどん刺激の強いものを求めている。ますます強くなる、読者の刺激耐性を満足させようと、スクープに走るわけだ。
スクープとは、長い時間その対象者周辺にいないと出てこないものだ。あるとき偶然そんな出来事にであってしまった、なんてことはない。中心人物の周辺の人とも仲良くなって、そこから情報をもらって、調べ始める、みたいなパターンが多い。「ネタを売りやがって」と告発者のことを恨む構造があるのだ。まあ、それはそうとして。
文芸や小説で事業をスタートさせた出版社が、週刊誌を手放せないのは、収益面からでしかない。働いている人たちはおそらくエリートだろうし、芸能人のスクープを取りたいと思って入社する人は少ないと思う。ただ、会社として事業があるかぎり、そこに関わらないといけないわけで、持ち前の(ずる)賢さで仕事をこなしていくのだ。「入社時にこんな仕事したいとまったく思わなかった」と言いながら。
どの出版社も業績のいいところは多くない。著作権や海外に対する権利収入を増やしている会社も多い。ただ、スクープ合戦のような週刊誌づくりは誰を幸せにするのだろうか。報道する側はいつも匿名で、裁判で負けたとしても大した額ではない。それに引き換え、記事で騒がれた人が失うものは…。そんなことを言ってたら会社がもたなくなる、という声が聞こえてくるけれど、そんな仕事は自分の子供にちゃんと説明できるのだろうか。
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