3.11に思うこと
2024/03/11。今日は3.11。あの日あの時に何をしていたかを思い出す人は多いと思う。自分は、大手町の会社にいて、作業場みたいなところで編集作業をしていた。古いビルの14階。出版社だったので、書籍が雪崩のように落ちてたり、オフィル用のコピー機が1メートルぐらい移動してきたのを覚えている。なぜか戸棚の中に入っていた、使わなくなった丸い掛け時計が激しく揺れて、壊れたり。会社からは、帰れる人は帰ったほうがよいとの話だったので、午後5時ぐらいに会社を出て戻ってきた。20キロぐらい。その前月東京マラソンに出たので、ハーフマラソンぐらいだなと思っていた。ただ寒かったし、花粉症がひどかったことを覚えている。家に近くのイタリアンがやっていたので、そこに入った。今考えるとこの出来事が退社への始まりだった気がする。仕事をしながら英国の大学院の通信教育課程で勉強していて、修士論文を書いてるタイミングだったけれど、完全に止まってしまった。そののち、体調を崩してその年に退社したこともあり、論文は翌年の4月に提出して、7月に修了することができた。だいぶ時間がかかってしまった。あのときから13年が経つ。被害にあった人は時間はとまったままかもしれない。自分の生活も激変した。よくここまできたなという思いも強いけれど、もっと早く気付けばよかったなと思うこともある。
時間は流れているし、そこで何を考え何をやるか。もっと意識しないといけない。毎日同じことの繰り返しはつまらないなと思うようになった。独立する、というと、「安定した生活を捨てて」という意識が強い。それはそうなのだけど、なにかあったときに、自分が対応できることが実は安定なのだと思う。ただ、その「なにか」が想像できないから、その意識も弱くなるのだ。ただ、言えることは、自分が事業をやれば、すべて自分の責任だということ。いいも悪いも。その意識は他責の気持ちをなくさせる。文句を言ったところで何も始まらない。のであれば、言わない環境に身を置く必要がある、ということだ。ストレスは、自分次第でなくすことができる。やばいと思ったら逃げることも必要。そういう感覚は、安定した生活をしていると養われないし、身につかないものだと思っている。ようやく気づいたことだけど。各地で起きている震災や紛争でなくなっている人の冥福を祈る日だ。
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