クルマを少しで高く売りたいという人へ
お金がないから買いたいものが買えない、というのは誰もが考えること。ほしいものと価格とのバランスを常に考えている。コストパフォーマンスという言葉がそれを端的に表している。自分が払った以上の価値を感じれば、コストパフォーマンスがよい、となり、その逆は悪いとなる。ただ、「自分が払った以上の価値を感じる」というのはまったくのいい加減なものであり、実際の価値を感じている、というより、実際より多くの価値を感じさせられている、という側面が強い。わかりやすい例で言えば、定価にバッテンをして、特別価格と書けば、「お、安くなっている」と思ってしまう。クーポン券があれば、それを使うと「お得」と思ってしまう。もとの定価が高いかもしれないのに関わらず、である。
お得なのか、お得と思わされているのか
買取の場面であれば、安い金額を伝えて、オーナーさんが渋ったら少しずつあげていく、という戦法?はよくある。腹のさぐりあい。ただ、「そんなのめんどくさいから早くベストプライスを書いてくれ」という人たちもいる。多くが高級車オーナーだ。事業で成功する過程で、そんな腹のさぐりあいはムダだとわかっている。何より、そんな時間がもったいない。クルマの売却先などさっさと決めたいのが本心。査定の現場で決裁権がないことを堂々とアピールするような人たちとは付き合いたくないというのも本音だろう。こちらが本音を伝えても、先方にそれがなければまとまるものもまとまらない。部長クラスと係長クラスが商談しているようなものだ。ただ、その構図は、お得と思わせるには業者にとって、便利なのだ。「上司に説得してなんとなか◯〇〇万に」とか「今決めてくれるのだったら●●●万円で買い取れます」とかいうセリフはこういう意味だ。実はお互いの判断基準が明確であれば、商談はすぐにまとまる。駆け引きなどいらない。
コストパフォーマンスはどこで決まるのか?
そういう戦法に引っかからないためには、自らが価格だけで判断しないことが必要になる。時間をかけても一円でもいいから高いところに売りたいというのであれば、それもいいだろう。ただ、そう思わせられているのではないか、という疑いも必要だし、その疑いを感じるには、価格だけによらない判断基準も必要なのだ。コストパフォーマンスとはまったく別の次元。というか、金額以外でのコストを感じられるかどうかの話。ここはとっても人間の深層心理に根ざしていることだけに、その人の本質がでると思っている。買取の現場はそんなこともみえてきて面白い。ホントはお金は入ってくるより使うほうが先なだと思っている。これはまた別の機会で。
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