【ひとり言】滝行10年目が終了
ひとりごとのコーナー。このブログでたまに書いていますが、自分は滝行をやっています。今年で2015年1月からスタート、今年で10年目に突入していて、先日クリスマスの日に行って丸10年が終了したことになります。自分でもよくこんなに続いたなと思います。
極寒の中の滝行
1年を通してやっていると、夏はご褒美、冬の滝行こそが修行といった感覚になります。12月、1月、2月はホントにキツいです。滝の下に入ることが難しく、横に立っているぐらいで精一杯の感覚になります。そもそも滝の中に足をいれることが、痛いぐらいの冷たさ。手の感覚がどんどんなくなっていくことがわかります。滝に入る時間も自ずと短くなります。それでも極寒の中、自然と向き合い、自分の向き合うことに意味があるのです。
「慣れない」ことの効用
その意味は何年やっても慣れないというところにあります。物事は何年もやると慣れてくるものですが、滝行は慣れないのです。それがいいなとも思うのです。先日もずっといっしょにやっている友人が滝行のランチのあとに「この冷たさは何年やっても慣れないですね」と言ってましたが、ホントにそのとおりだなと思うのです。滝に入るときは、そのときの体調が大きく影響します。それは入ってみないと調子がいいのか悪いのかわからないことも「慣れない」ことに関係しています。
慣れること=麻痺すること
慣れるということは麻痺することだなと思っています。慣れなくてはだめ、とか、何回もやると慣れるなど、慣れることがある種の目標みたいになっているところがありますが、これは同時にいろんな感覚を奪っていると思わされます。ただ、毎回毎回、慣れない状態で緊張や不安を強いられるのもよいことではありません。慣れることは習熟する過程で必要なことではあります。ただ、慣れていることでもきちんと観察をすれば工夫できることもあり、慣れすぎていることもよくないなとは思います。
「慣れない」を実感する場所
滝行はこの「慣れない」感覚を体で感じるため、毎回毎回の気持ちを新鮮にさせるのです。今日はどうなるかわからない、というのはやっぱり不安です。何度やっても入る前の怖さは消えません。だからこそ、気持ちを高める必要があるし、滝に入れば、その高まった気持ちを鎮めることに意味があるなと思うのです。滝行をやる身からすれば極寒ですが、それでもここ数年は雪や氷柱が下がることがなくなり、暖冬を感じさせます。
まとめ
終わったあとの温泉は格別です。いつもの温泉を10倍ぐらい楽しむことができます。そのあとはランチしてそこで解散。といっても今回は僕ともう一人だけでしたけど。少人数がいいなとは思いますが、ひとりでやる勇気もありません。仲間がいるからこそ続けられるのです。来年も安全で正しい行にしたいと願っています。
ハッピーカーズ大田田園調布店/有限会社ソーシャルキャピタル 吉田(07054555708)
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