【ひとりごと】訃報から考えること・考えさせられること
今日のひとりごと。昨日、叔母がなくなったとの訃報を受け、葬儀に行ってきた。車で1時間ちょっとのところ。詳細は知らなかったのだけど、昨年11月から入院をしていたと、その娘さんから聞いた。父の兄弟がこれで皆いなくなってしまうことになった。そういう年代ということを感じるし、その叔母にはよくしてもらったので、残念という気持ちでいっぱいだった。年齢が年齢だけど、という言葉をよく使うけれど、身内はそれを理解しつつも長生きをしてほしいといのは共通の願いだと思う。
自分の将来を投影させられるか
ただ、僕がちょっと(というか、だいぶ)ショックだったのが、その旦那さんの姿だった。お酒が大好きな人で、それこそ亡くなった叔母に止められていたのを思い出す。だいぶ会っていなかったのだけど、認知症も進み、車椅子で葬儀に参列している姿は、元気なころとは一変していた。その姿がなんとも不憫に思えた。誰もが通る道だし、それはすなわち自分の将来でもある。
将来に対する準備と覚悟
そんなことを考えていたら、なぜか無性に怖くなってしまったのだ。まだまだ「死」には向き合えてはいないと自覚した。それでもいつ何時、何が起こるかわからない。だからこそ、1日1日を大切にしなければと思うのだ。そのためにはどうすればよいのか、を考えながら帰路につくことになった。こういう衝撃でもないと考えられないことかもしれない。日々の仕事、眼の前の仕事に全力投球することは大事なことだけど、自分の身に起こることとして考えるのは容易なことではないなと思う。
「それ」にどんな意味があるのか?
それにしても最近、ミスとか忘れ物、落とし物が多くて嫌になる。大事には至っていないけれど、ちょっとは立ち止まって考えよ、というメッセージだと思うし、この葬儀も、最近の大きな買取案件も、どんな意味があるのだろうかと考えている。正解はないけれど、その意味から「なにか」を判断し、決断しなければいけないこともあるのだろうと思う。正解はない、のがやっぱり大変だ。その「なにか」もまったく抽象的だし。
まとめ
こういうことを考えるときに、いつも試練を与えられているような気がする。簡単に考えられることは少ないし、かつて乗り越えたことよりも更に大きなことの決断を迫られている気もする。まいどまいどのことだけど、それにしてもしんどいな、と思うのは不幸があったからより強く感じるのだろうか。とにかく今月は多岐にわたって、思いもしないことがいろいろ起きている。いいことも、そうでないことも。4月に入ったら少しゆっくりする。
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