査定額を自分で出せない買取マンたち

車買取という仕事は人生の転機に立ち会う仕事だと思っている。多くの人達にとって、クルマの買い替えは大きな決断だからだ。家の次の大きい買い物とも言われる。生業としている以上、いくらで買い取っていくらで売れればどれだけ儲かる、みたいなことは考えなくはないけれど、だいたいその通りにいかない。通常の商売は、売れるか売れないか。どれだけの人に買ってもらえるかどうか。買取という商売は、買取金額を自分で決められるが、オークションでいくらで売れるかがそもそも未知なのだ。そんな中で買うというのは慣れるまでが大変。しかも買取資金は、会社のお金でなく、自分のお金となるといきおい真剣になる。そんなことを繰り返していると、自分のことで精一杯になるのがふつう。ましてノルマに追われている人たちは、自社のこと、上司のことで頭がいっぱいだ。人生の転機はもはやそんな人達の仕事となるとまったくの日常になってしまう。お客さんとの温度差。

大手企業の買取マンは会社からの指示でお客さんに提示する買取金額が決まる。自分で決めることはできないし、副店長クラスでも金額は出せない、と聞いたこともある。それだけ査定額を提示するということはこのビジネスの根幹ということだ。ただ、買取マンが自分で金額を出せなかったらどこにその仕事の面白さがあるのかと思う。本部から言われたことをお客さんにただ伝えるだけの仕事って。。自分だったら会社員としてこの仕事は絶対にやらない。自分ですべてを決められるからこそ、大変であり、面白いのである。

仕事の面白さは自分で決めるからこそ

夢のある仕事というのは必ず苦労と喜びの両面がある。もっと言えば、9割が苦労、1割が喜び、みたいな感じだろうか。その喜びはお客さんに必要とされたとき、感謝の言葉を言ってもらったとき、そして多くの出費を上回る収入を得られたときかもしれないと思う。決められた仕事をして、手にするお金がだいたい予想がつくような仕事をいていては理解できないと思う。夢を見るのは自由だけど。多くの人は、そんな不安定なこと、博打みたいなこと、と言い敬遠する。経済的に安定する仕事をしたいと思うのだけど、その安定が退屈につながることも皆知っている。そしてその安定は時間を切り売りするものだ。

口にした不満は自分が決断しない証拠

何もかも自分で決めれば、やるしかない。仕事仲間への不満、お客さんへの不満、業界への不満、政府への不満、世界情勢の不満、すべて自分に帰ってくる。世界が、、とか、政府が、、とかいうことが口ぐせの人は当事者意識がほとんどない人もいる。評論家タイプの人。世の中そんな人は求めていないし、知ったような口を聞いたとしても何も変わらないことは誰もが知っている。どんな小さなことでもいいから自分がやると決めれば、何かが変わる。それこそが大変なのだけど。話が大きく、長くなったけれど、車買取は自分が決めるから面白いのだ。

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